小学生を間近に

小学校に行ったのはいつぶりだろうか。もしかすると卒業以来行ってないのかもしれない。そうなると、10年ぶりだ。母校ではないが、家の近くの小学校に仕事で訪ねた。

 

いつもより遅い、8時に起きる。1時間おくれるだけで、ずいぶん気持ちがちがう。なんだか得した気分だ。梅雨入りの宣言は難しい、と弱気な天気予報士がテレビ画面で話している。今日は夕方から雨らしい。

 

なんだかぼーっとしてしまっていつもより朝ごはんが長引く。ハチミツにパンを塗りつけ、りんごを頬張る。R-1とコーヒーを飲んでお腹はたぷたぷだ。

 

歯磨き、髭剃りを済ませ9時前。時間通りだ。1時間ちがうと、向かう足どりも違う。

 

いつもは近所の高校生が登校する時間と通勤時間が重なる。高校の門の前で教師たちがあいさつしている。生徒たちにはちょっと低めに、親しみを込めて、でも威厳を忘れずに。おはよーう、といい、近所の大人には早口で、愛想のいいような、おはようございますー、を発する。でも、今日はすっかり校舎に引っ込んでいる。授業していることだろう。

 

いつもとは逆の方向の、準急列車にのりこむ。二駅だけ。あっという間。

 

線路を超えて濁った水が流れる疎水に沿ってしばらくあるく。暑い。外出だからとこの時期にネクタイ締めてジャケットを着ると汗が止まらない。髪や首筋から流れる汗を感じながら、私は小学校まで歩いた。

 

守衛にあいさつして、関係者のプレートを首から下げる。今の時代、小学校でこれはとても大事なものだと感じる。昔はなんなりと入ることができた学校だが、平成に入って起こった残忍な事件のかずかずによって、小学校に近づくことは難しくなった。

 

学校の門の前で電話を入れる。先輩社員の方が迎えに来てくれた。撮影はもうはじまっており、扉写真のセットを作っていた。小学校の教室は広く感じた。置いてある机たちは背が低く、よりガランとした空間に感じさせる。

 

最初の撮影は先生、生徒の各男女1人ずつ、計4人で行われた。男の先生は英語を話せる背の高い初老の欧米人で、女の先生は30を超えたくらいの愛想はいいが控えめな日本人。生徒ふたりもはにかんだ顔が可愛らしい困り顔の男の子と、行儀がよくて端正な顔立ちの女の子。4人は地球儀やらアルファベットのオモチャやらサバンナにいる動物のフィギュアやらが置かれた机のセットの前に座らされた。楽しそうに会話をしてる場面を撮りたいのだろうけれど、男の子が緊張してるのか、顔が曇る。限られた時間に少しばかり焦りをにじませるカメラマンとディレクター。でも確かに、緊張するだろうな、と思う。なにせ知らないおじさん2人に急ににっこり笑って~、なんて言われても笑えるわけがない。50手前のカメラマンは新人の私にも軽口を叩いて和ませてくれる柔らかいおっさん、ではあるが、短い髪型と重い機材を運んで来ただろう浅黒くて太い腕は、可愛らしいものではない。ディレクターの方も黒と白のギンガムチェックに黒のデニムを履いている、デザイナーらしいいで立ちだが、サイドを刈り上げて短めに立たせた白髪混じりの髪と、黒縁メガネの奥に開かれた大きな目は、はっきりとしすぎた顔立ちで、温和な空気は読み取りづらい。その2人が急く感情を抑えて、無理に自らにっこりしているのだ。カメラの前という状況や先生のいつもと違う感じ、昨晩ご飯を食べている時に明日はオメカシしなきゃね、といった少しはりきった母親の顔。きっといろんなものがぐるぐると頭の中を駆け巡っているのかもしれない。

 

一方で女の子は実にお利口だった。写真を撮られる時には笑顔を作り、じゃあブラジルさしてみよっか、という奇妙な要求にも躊躇いなく指を出し、困惑の表情1つ出さずに撮影をこなしていた。女の子の方が物怖じしないのかもしれないな、と思いながらこの撮影を眺めていた。

 

小学校の先生という存在にも久しぶりにであった。この撮影シーンの時、付き添いという形で40歳くらいの女の先生がついていた。「ほんっとかわいいね、○○ちゃん」「いい笑顔だね!○○くん」とか、とにかくテンションをあげて盛り上げる。眼鏡をかけた姿から、どことなく阿佐ヶ谷姉妹のような感じだったが、明るく子供たちに接している姿は、先生というよりも近所のお話し好きのおばさんにも見えた。その中でもすこし品があるように思える、やはり私立の学校だからだろうか。私の小学校時代の先生よりアクはない。

 

少し不満げだったカメラマンも一応使えるものがあったらしく、撮影は無事終了。途中で先生が入ってきて機材を慌てて片付けた。そのあと時間に余裕があったのでしばらくその授業を見ていた。英語の授業だったのだろう、簡単な英語の歌詞の、「お母さんといっしょ」で流れていそうな軽やかな曲にあわせて、子供たちが飛び跳ねていた。楽しそうに授業を受けている姿を見ると、英語の授業がずいぶんなじんでいるように思う。私の時代にはなかった光景だ。

 

そのあとも情報や図工の授業を見学した。まっすぐに手を伸ばして発言する子供たちはとてもかわいらしかった。と、同時にキーキーとした高い声で騒ぐ男の子や、「わたし写真嫌いなの」とませた女の子がいて、そーいや自分もこんなんだったな、と懐かしく思っていた。久しぶりの小学校は、自分が大人にいつの間にかなっているのを痛感した日だった。

 

一輪車と女の子

毎日同じ道を歩くことに、人は慣れている。私の場合、会社に行く道がそうだ。家を出て、背の低いマンションがある。小さいころはその駐車場で、一輪車やケンケンパをしながら遊んでいた。今でもよく覚えているのはその一輪車で遊んでいたある瞬間。確か母親もそばにいたはず。その駐車場には毎週生協のトラックが来る。少し坂の上にある我が家にとって、坂を下らずにものを運んでくれる生協の存在は、車を運転できない専業主婦である母親にとっては大きな味方だった。近所の奥様方との会話を弾んでしまい、私が家に帰っても誰もいないことが多く、その駐車場に様子を見に行ったことがたまにあった。そしてある時、私は一輪車に乗る機会があった。小学校の放課後、やたらと一輪車どにはが流行った時期があった。小学生にしては身長があった私は、タイヤがちいさくてサドルが高い赤色の一輪車に乗っていた。校庭をグルグルまわれるほどには乗れるようになっていたが、運動神経が良くて体育で目立っている人たちのようには乗れていなかった。これは大学に入ってスノーボードする時も一緒だった。特に銀ちゃんという体格もよくて心の広い少年の一輪車をよく覚えている。濃い紫色で大きなタイヤのその一輪車は、ひと漕ぎひと漕ぎが力強く、前進する際は戦車のように感じた。反対に私のひょろっとして不安定な一輪車姿は、か細く頼りないアメンボのようだっただろう。そんなわけで一輪車に乗ることはなんら難しいことではなかったのだが、母親たちの間では不思議な光景だったらしい。駐車場でやってみて、という話だった。シャイだった私はあまり気が進まなかったが、自慢したい気持ちも少しあり、「乗るよ」と、斜に構えていった。しかし家には一輪車がないので、誰かに借りなければならなかった。そのとき、たぶん生協の奥様方のメンバーの一人に、一輪車を貸してくれるという人がいたんだろう、持ってきてくれる話になった。するとそのお母さんは私のための一輪車と、一輪車に乗る娘を連れてきた。調度ひましていたんだろう、話したこともない、たぶん年上の女の子と私は一輪車をこぐことになった。大した話ではないが、ませたガキだった私はしっかり照れてしまった。なんともなさそうな相手の女の子の様子も少し腹が立った。あまりしゃべる子ではなったから、本来そうなのか、女の子も恥ずかしがっていたの子も知れないが、当時の自分にはわかりかねた。

2人は手をつないで一輪車に乗った。女の子と手をつなぐのも恥ずかしいし、それを母親たちに見られているのも恥ずかしかった。いつものようにふるまえず、一輪車もうまく乗れない。そのたびに、冷ややかだが差し伸べられるその小さな手に、触れたいのやら払いのけたいのやら、複雑な感情が胸をよぎった。早く終わらないかな、この気持ちだけは確かにあったはず。どんなふうに終わって帰ったのかも、その子の顔も、あまり覚えていないが、今でも会社に行くこの道を通る前に、ふと、そのことを思い出すことがある。

タバコの苦みと、社会への階段

会社のフロアには喫煙所があるが、暗黙のルールとして吸うことは禁止されている。「お客さんに見られると印象が良くない。」「室内の喫煙所なのでにおいがつきやすい。」納得できる理由ではあるが昼休みに外へ出て吸うのはわずらわしい。タバコを吸うのも自分の自由だし、限定された場所でもタバコを吸うことは許されないのかとおどろいた。5月31日は世界禁煙デーだったらしい。喫煙者である私は残念ながら気づかなかったが、もしかしたらどこかで催しがおこなわれていたのかもしれない。とにかく今の世の中喫煙が肯定されることはない。

Huffington Post記事で「喫煙者は採用致しておりません」喫煙者お断り企業は「差別」?

諸外国に比べ、日本の規制は緩い方だという見方もあるが...

が掲載された。

 

JTの調べによると、50年ほど前の男性の喫煙率が80%を超えていた日本。会社の中でも喫煙は自由で、会議中の喫煙は当たり前。いつも灰皿は吸殻でいっぱいだった。公共交通機関もおおらかで、旧国鉄時代はホーム上はもちろん、新幹線でも全席で喫煙が可能だったが、去年3月のダイヤ改正でついに新幹線から喫煙車両は姿を消した。日本航空も、喫煙席と禁煙席に分け、カーテンで区切っていたのを1998年9月までに廃止した。

 

とあるように、昔の喫煙者の割合の高さに驚くが、日本の喫煙率は年々下がっている。そんな状況でもタバコを吸い始めた人がいるのも事実だ。まぎれもなく私がそうである。私が吸い始めた理由は2つある。一つは周りの影響。いつの間にか友人たちがタバコを吸っていた。大学に入学することが決まって』大学に入るまでの1カ月、友達とよく遊んだ。酒もその時が初めてだったが、煙草も勧められた。すぐにむせ、あまり吸うつもりはなかったが、大学に入ってサークルの先輩らと遊んでいるうちに煙草に抵抗はなくなった。そんなある日、友人が、相談があると言って授業をさぼるよう持ち掛けてきた。1回生でまださぼることに慣れていなかった私はその誘いを渋った末、授業に出ないことにした。彼が深刻そうだったからだ。自転車で喫茶『ジュネス』までいき、大盛のかつ定食を食べた後、彼はおもむろに赤マルををとりだした。「どうしたんだそれ。」と訝しがる私に向かって、彼は「吸い始めたんだ。」といった。彼の話の内容は失恋だった。浪人時代すきだった女の子に振られた、という話だった。渋くて酸っぱい食後のコーヒーに、砂糖とミルクを混ぜながら、彼に励ましやちょっかいを出していた。そのときもらったタバコは意外とすんなり吸えたものだった。なんだか大学生している気分だった。授業をさぼって、古いカフェでタバコを吸う。それで一つ自分の中で完結した。もう一つ理由は、もともと吸ってみたい、という感情だ。好きなバンドの、あのかっこいいおじさんたちが吸うもの。ライブ終わりの滴る汗と、けだるそうな顔と、漂う煙。ダンディズムの極みだった。彼らのようになりたい思いが、煙草を吸うきっかけになったのは間違いない。それは大学生の自分にとって、「大学生」になる儀式であり、アイデンティティの一助でもあった。タバコを吸う自分、という意識が必要だった。だから社会人になったらやめる人が多いのだ。もう「大学生」でも「タバコがアイデンティティ」ではないからだ。彼らは、そして私も、煙草に寄り添わなくても、仕事を自分の生きざまにすればいい。だから、やめようとすればやめれるのだ。

うどん以外で、香川に行く理由。

関西からの日帰り旅行、足を延ばすならどのあたりまでいけるだろうか。土曜日の朝といえば1週間で1番清々しい瞬間だろう。次の日は日曜日で仕事は休み。昨日までの仕事からの開放感。予定があるなら胸を躍らせて週2日でしか着れない私服を吟味し、予定がない日は何も考えず自分のペースでくつろぐことができる。まさに休みの中の休み、休みの王様、真の休み。土曜日の朝はそうであるべきなのだが、今日の私はどうやらその甘美な感情をもっていない。まず、5時半に目覚ましをつけている。なんなら時間が気になりすぎて4時に一度起きた。果物とR-1だけ食べて歯磨きし、服に着替える。私服ではない。そう、今日は会社に用があるのだ。
少しラフにスーツをきて、いつもよりすいている電車に乗る。透き通るくらい晴れわたり、上に二枚着ているのがちょうどいい気候。まぶしい朝日に目を細めながら今日仕事であることをいまいましく思う。
印刷研修、と聞くとコピーの仕方でも教わりそうなものだがそうではない。香川県にある印刷工場へ見学に出かけるのだ。もちろん日帰り。予定では7時半に集合し、20時に解散。長すぎるなぁ、と前日メールで詳細を確認してから土曜日が休みではない憂鬱さ、次の1週間がすぐに始まるわずらわしさを想像して肩を落としていた。
しかし現地に集合してみると若手社員ばかりで気兼ねなく過ごせる。少しずつ気持ちが上向きになり、ちょっとした旅行だと考えるようにした。
11時ごろにうどん屋へ到着。香川は東から西にむかって麺が柔らかくなるそう。案内してくれる印刷会社の人は、西出身で東の麺は固く感じるらしい。関西とは違って昆布が中心の塩を多く入れた出汁はかけうどんが1番あじわえる、とのことなので、かけうどん大ととり天を注文。シンプルで爽やかな出汁にコシがあるうどんは、ハイカラさはないがしっかりと支持されている理由がわかるおいしさだ。
食べ終えてから印刷工場に移動。インク会社の技術者が、印刷のノウハウを教えてくれる。眠たい座学だったがどのような原理で大量の印刷、製版が行われているか理解できた。その後に印刷工場を巡り、四版が出来上がる様子や裁断される様、ページを重ねて表紙をつける過程を見ることができた。
自分たちが書いたものが現物になる姿を目の当たりにできたのはおもしろい。しかしその分バスに乗る時間は長くて辟易した。まあ、今から楽しむか。と京都に帰る電車内でかいている。さて、休日を取り戻しに一杯引っ掛けるか。

コーヒーが必要な日

今日は1日眠かった。確かに昨日「ハリウッドザコシショウ」の動画を見すぎてしまったが、そんなに夜遅くなったわけではない。やはり電車で座れなかったことが大きかった。10分でも寝るとだいぶ変わるのに。そう思いながら眠気眼の私は月初朝礼に向かう。あまり頭に入らない代表の話を頭揺らしながら聞いた。

代表の話はここ最近の世間を騒がすニュースについて。日大アメフト部の危険タックル事件、森友加計問題、米朝首脳会談とビッグニュース目白押し。目まぐるしくてフィクションのようだ、このうちのどれかは映画か本になるだろうと語るのも、おおいに頷ける。特にトランプと金正恩の話題は事欠かない。「あれ、昨日まで会談中止じゃなかった?」とか「めっちゃディスってなかった、アメリカのこと。今日はほめてますやん」とテレビにむかって何度かツッコんだ。ただ実際問題、これらはまるでショーのようだと感じる人は多いだろう。同期の一人が「今の日本では、主張することが一種のショーである。」と言っていたが、その通りだと思う。SNSではガセ情報が飛び交い、真剣に議論するのもバカらしい。特に変動することのないデモ活動は暇な老人たちの青春ごっこのようだ。だからこそわたしや同期や恋のような「現代の」若者が、学生運動が盛んであった当時の生活に憧れるし、その気分を味わいたいと本を読む。わかりきった構図の中に自分がたやすく当てはまることも造作ない。

朝礼が終わり席に着く。やはりまだ眠いのでどうにかしなければいけないな、と思う。1日中眠いとき、その眠気を覚ますのに一番いい方法はコーヒーだろう。そんなコーヒーにまつわる面白い記事があった。

 

『コーヒー戦国時代に突入 京都、新規店VS地場店』

 

コーヒー戦国時代という興味を引くワード。京都新聞は基本的にLINEから通知が売るようになっているが、この記事はすぐさま開いた。

 

関西初出店のコーヒー専門店が、京都市内に続々と進出している。独自の製法による味わいや店づくりを売りに、コーヒー愛好者が国内で最も多いとされる市民や、観光客の取り込みを図る。迎え撃つ地場のチェーン店も、新たな商品や業態を展開。古都がにわかに「コーヒー激戦区」となっている。

 

コーヒー消費量日本一の町京都。ちなみにパンも1位だが、確かにカフェや喫茶店の量は半端ではない。街の至る所に店があり、なんだかんだ潰れずに長い間店を構えている。ここでは小川コーヒーや前田コーヒーを挙げているが、ちっさいながらいい味の店は山ほどある。逆に、最近入ってきた全国チェーンで私が見たものは、ブルーボトルコーヒーだ。ほんとに初見だったので、その鮮やかな水色のボトルが描かれた、べた塗りのロゴマークは「新しくてかっこいい」と感じた。南禅寺に表れたその店の前は、長蛇の列。外国人観顧客も並んでいて、最先端を感じさせた。一方で、記事にある通りにほんとに争っているのか、と聞かれると、たぶん違うだろう。同じパイを取り合っているというよりかは、あふれんばかりの外国人目当てである大手チェーンと、近畿圏から集まった日本人も狙える地場店と、すみわけがされている気がする。いじれにせよ京都のコーヒー店が蹂躙されることはなさそうだし、盛り上がるのであれば歓迎したいところである。

 

おやじもみんな青春がある

昨日は信長の野望にはまってしまったせいで寝るのが遅くなった。どうしてなかなか早く寝る習慣がつかない。学生時代についてしまった生活リズムは簡単にぬけだせるものではない。京都から大阪までの電車の中でどうにか座れているものだから、眠ることができている。この小一時間が、とても大事だ。朝からの頭の働き方が違う。いつものように会社の前にあるホテルの駐車場の喫煙所で、煙草を吸う。手にはセブンイレブンで買った、レギュラーサイズのアイスコーヒー片手に、自分なりの仕事へのスイッチを入れる。雨上がりのしけた気候は、舞うたばこの煙を服に閉じ込めてしまいそうで気にかかる。においがつくのではないかとスーツの袖をかいでみるが、よくわからない。結局何もにおいに関して対策することなく会社の方に向かう。

 今日は大掃除の日。たまたまではあるが家から持参した本立てとファイル入れを設置する。煩雑だった机まわりを整頓し、なんとなく働いているかんじが出来上がった。パソコンに向かって左側にファイルやコピーに関する本、AERAなどの雑誌を置くと、まさに「クリエイティブ」な仕事をしている感じになる。自分としては汚れた机に憧れを持っているので、クリーンにすることに反発する気持ちがあるが、やっぱりきれいになると気持ちも晴れる。

 午前は研修があり、WEBのワイヤーフレーム作りについて学ぶ。昨今のサイトは本当に人の目を引く面白いものばかり。自分で作れるならどのようなものがいいか、意外と湧いて出てこなかったので、あまり深く考えずに発表する。周りの人の説明の丁寧さに少し引け目を感じ、反省。1時半ごろに昼食をとる。お弁当を買おうとコンビニに行くが、この時間はご飯の量としっかりした味のおかずが入ったものがもう残っていない。そもそも売切れ寸前だ。仕方なくサイゼリヤに行って500円ランチセットを注文。バイトが足りてないのか混み入ってはいないがハンバーグが出てくるまで時間がかかる。客足は途絶えず忙しそうだった。午後からは博物館と水族館のポスターのラフを考える。前回以上にコピーを考えるのがはかどり、ポスターのラフデザインを描くのも順調。「五感を、フル稼働。」「『もうへとへと』が、今日の目標」「パパはコドモに。ボクはオトナに。」などいろいろかける。ラフの完成が遅れてしまって、上司に迷惑をかけてしまったのが唯一の心苦し残りだ。

 帰り道に同期が貸してくれた『されど、われわれが日々―――』を読み終える。党派活動という政治色が出やすい、学生運動を行う若者が主人公だが、議論したりデモをしたり、若いパワーをぶつけるさまはまさに青春物語だった。当時の学生にとって運動は部活であり、スポーツであり恋の舞台であった。共産党はある意味、今話題の日大アメフト部に近かったのだろう。共産党の方針転換で、多くのものが失望し、自分の空虚さに驚いた。みな考えている気になっていたが、結局はおやじたちに盲信していたのだ。これらの保守と革新の間に矛盾を抱きながら悩む姿は、高校野球のような青臭さを感じた。

 家に帰ると、佐川前国税庁長官の不起訴が決定していた。彼にも青春があったのだろうか、とふと疑問に思う。政権の犬、のような報道のされ方だが、結局長官の職をそそくさと去っていた彼は、30年前、何を夢見ていたのだろうか。

 

CD時代の終焉

いつの間にか時代が大きく変わっていたなっていうことがある。自分も無意識のまま、ただ時代の流れに沿って歩んでいる。新しい電化製品やマスメディアは特にそう。初めは真新しく感じるが、1年たつとそれがなかった時代を忘れてしまう。

私はYoutubeをほぼ毎日見る。TwitterやInstgramも。以前は家に帰ると、特に見たい番組もないのにテレビの電源を入れるのが習慣になっていた。今は必要なければつけもしない。布団に倒れこみながら見るのはスマートフォンだ。Twitter,Instgram,Youtubeの順にみるのがお決まり。大学に入ってからスマフォを持ち出したので、この癖がついたのはここ4,5年だ。前のワールドカップの時はやってなかったかもしれない。今20代くらいの世代にとって、このいつの間にかすんなり受け入れている時代の変化に、いったいどれだけの人が戸惑っただろうか。

スマフォが出現して変わったことはほかにもある。つい最近までTSUTAYAでCDを借りていたのだが、相次ぐTSUTAYAの閉店で気づいた、もうみんなCDは聞かないのである。

小学生の時、まずほしがったCDといえば、だんご3兄弟。ついでポケモンの覚え歌だろう。少しませ出してからポルノグラフティの「アゲハチョウ」、一気に邦楽ロックにはまったスピッツ。当時好きだった女の子が聞いていたラルクアンシエル。そして、音楽が趣味の大きな柱となるきっかけになった、BUMPOFCHICKEN。4っつ上の兄が買ってきたアルバム「jupiter」は、自分の人生に少なくない影響を与えた。

音楽を聴くにはCDだ。レコードやテープなんかよりも音質がずっとよく、表面や歌詞カードをオシャレに彩り、ジャケットにアルバムやシングルの意味合いをにおわせた。流しっぱななしにしていると、長い無音からいきなりボーナストラックが始まる。CDにはいろいろ遊びがあり、アーティストはアルバムを作ることことにちからを注いだ。

しかしその時代は終わったのだ。音楽はCDからMDに取り込む時代も、コンピューターに取り込んでアイポッドで聞く時代も終わった。みんなspoyifyやapplle music、そしてYoutubeで聞くのだ。

アルバムで聞かれることも少なくなった。なぜならご親切にアプリたちがおすすめしてくれるから。どのアプリも月額料金は半端なく安いし、Youtubeに至っては無料。お金が手元にない学生たちは、そりゃあCDに見向きもしないだろう。

中学生のころ友人とrock‘in on japanやrock‘in onを読み込んだものだ。好きなアーティストのインタビューにかじりつき、彼らが昔何を聞いていたのかを探った。そしてTSUTAYAで迷いながら見つけ出し、聞いてみてはまれば今度はそのインタビューを、、、と、このように繰り返した。そうして自分の好きな音楽の村を育てていった。ジャンルほど広くはないが、オムニバスでははみ出てしまうような。

しかしいまのロック好きたちはその村を持たない。境目なく均等に広がっている。つまみ食いの連続で、広いがとらえにくい音楽観。ギターが脇役に下がる時代の流れと同様に、均一性が際立つアーティストが増えるだろう。

 

先日Buzzfeedjapanのインタビューに答えていた水曜日のカンパネラコムアイの言葉が印象的だ。「私はCD買ってないし、聴かない」アーティスト自らCDを否定する時代になったのだ。

Youtubeや動画制作ソフトの発展も相まって、MVの完成度もアマチュアバンド含め格段にあがている。「売れるにはまず動画から」音楽家がYoutuberを兼任する時代も遠くないだろう。