タバコの苦みと、社会への階段

会社のフロアには喫煙所があるが、暗黙のルールとして吸うことは禁止されている。「お客さんに見られると印象が良くない。」「室内の喫煙所なのでにおいがつきやすい。」納得できる理由ではあるが昼休みに外へ出て吸うのはわずらわしい。タバコを吸うのも自分の自由だし、限定された場所でもタバコを吸うことは許されないのかとおどろいた。5月31日は世界禁煙デーだったらしい。喫煙者である私は残念ながら気づかなかったが、もしかしたらどこかで催しがおこなわれていたのかもしれない。とにかく今の世の中喫煙が肯定されることはない。

Huffington Post記事で「喫煙者は採用致しておりません」喫煙者お断り企業は「差別」?

諸外国に比べ、日本の規制は緩い方だという見方もあるが...

が掲載された。

 

JTの調べによると、50年ほど前の男性の喫煙率が80%を超えていた日本。会社の中でも喫煙は自由で、会議中の喫煙は当たり前。いつも灰皿は吸殻でいっぱいだった。公共交通機関もおおらかで、旧国鉄時代はホーム上はもちろん、新幹線でも全席で喫煙が可能だったが、去年3月のダイヤ改正でついに新幹線から喫煙車両は姿を消した。日本航空も、喫煙席と禁煙席に分け、カーテンで区切っていたのを1998年9月までに廃止した。

 

とあるように、昔の喫煙者の割合の高さに驚くが、日本の喫煙率は年々下がっている。そんな状況でもタバコを吸い始めた人がいるのも事実だ。まぎれもなく私がそうである。私が吸い始めた理由は2つある。一つは周りの影響。いつの間にか友人たちがタバコを吸っていた。大学に入学することが決まって』大学に入るまでの1カ月、友達とよく遊んだ。酒もその時が初めてだったが、煙草も勧められた。すぐにむせ、あまり吸うつもりはなかったが、大学に入ってサークルの先輩らと遊んでいるうちに煙草に抵抗はなくなった。そんなある日、友人が、相談があると言って授業をさぼるよう持ち掛けてきた。1回生でまださぼることに慣れていなかった私はその誘いを渋った末、授業に出ないことにした。彼が深刻そうだったからだ。自転車で喫茶『ジュネス』までいき、大盛のかつ定食を食べた後、彼はおもむろに赤マルををとりだした。「どうしたんだそれ。」と訝しがる私に向かって、彼は「吸い始めたんだ。」といった。彼の話の内容は失恋だった。浪人時代すきだった女の子に振られた、という話だった。渋くて酸っぱい食後のコーヒーに、砂糖とミルクを混ぜながら、彼に励ましやちょっかいを出していた。そのときもらったタバコは意外とすんなり吸えたものだった。なんだか大学生している気分だった。授業をさぼって、古いカフェでタバコを吸う。それで一つ自分の中で完結した。もう一つ理由は、もともと吸ってみたい、という感情だ。好きなバンドの、あのかっこいいおじさんたちが吸うもの。ライブ終わりの滴る汗と、けだるそうな顔と、漂う煙。ダンディズムの極みだった。彼らのようになりたい思いが、煙草を吸うきっかけになったのは間違いない。それは大学生の自分にとって、「大学生」になる儀式であり、アイデンティティの一助でもあった。タバコを吸う自分、という意識が必要だった。だから社会人になったらやめる人が多いのだ。もう「大学生」でも「タバコがアイデンティティ」ではないからだ。彼らは、そして私も、煙草に寄り添わなくても、仕事を自分の生きざまにすればいい。だから、やめようとすればやめれるのだ。