ギターは主演から、脇役へ。

ギターへの憧れは、中学生くらいならだれでも持つ普遍的なものだと思っていた。いま20代後半ぐらいの日本人なら、この感覚が伝わるのではないか。「ギターをやってる」というと「かこいいねぇ」と返事が返ってくるのは一つの固定化されたやり取りだ。私の親世代もフォークやバンドが流行っていたし、その少し下の世代も長渕剛布袋寅泰、また少し下にミスチルスピッツ、ゆず。ラルクアンシエルやGRAYに陶酔した人も多いだろう。J‐ROCKでありJ‐POPであったこれらのアーティストたちは、みなギターを持ち、歌を歌った。それは若者の流行歌に欠かせない一つの象徴的存在だった。ギターを始めたい!と強く願う少年がいたとして、彼がそのことを親に相談する。お小遣いをあげてもらうか、お年玉を前借りするか。交渉しようとするとおもむろに父親が倉庫の奥をごそごそしだす。出てきたのは埃をかぶったギター。「実はね、父さんは大学生のころ……」なんてことを、経験している人は少なくないのではないか。

しかし、このような団らんは訪れないかもしれない。

 

先日、ギターの一大ブランド、ギブソン社が経営破たんした。もちろんブランド自体はなくならないが、世界的に見ても日本国内に限ってもギターの購入本数は減少傾向にある。5月15日付の朝日新聞『耕論』では、エレキギターやロックの若者離れが指摘されている。

椎名林檎はギターの美点に「音符に書けない表現、あるいは楽譜に記す理屈以前の、『初期衝動』」をあげている。まさにその通りだろう。激しい感情や鬱憤を表現するのに最適なギターは、若者が見つけられない感情のはけ口にピタリとはまる。だから半世紀近く、ギターサウンドは若者の象徴であり、ロックは激動の時代にふさわしかった。

 

しかし、世界中でEDMが旋風を巻き起こしている今、日本でも若者の音楽のとらえ方は変化している。クリアな音がライブでも再現できるようになると、割れた音やざらついた音は好まれなくなり、均一性のあるサウンドが主流に。00年代を代表するBUMPOFCHICKENも以前はギターサウンドにこだわりぬいたアルバムを制作していたが、今はEDMを取り入れ、ヴォ―カロイドの初音ミクとコラボするなど、時代の要請を取りいれて人気を継続させている。アーティストとの一体感が可能になったライブ会場は、鑑賞よりも踊ることで音楽を体感するようになっていると、先の記事内で南田勝也武蔵大学教授は指摘する。ぎらついた感情を表現するギタリストよりも、みんなで楽しみを共有できるフェスへ。そこには脇役になったギターの姿を見ることが多くなるだろう。