あの時代と『恋』

平成も終わりに近づいている昨今。はたしてあさま山荘事件を知っている、もしくは覚えているひとがどれだけいるのだろうか。平成生まれで昭和を知らない私にとって、そんな事件は知る由もない。Youtubeに残っているざらついた当時の映像か、歴史を振り返る番組か。その程度でしかこの事件を知らないし、リアリティをもって体感できるはずもない。ただ、まったく知らないからこそ感じる、異質さ。オウム真理教による一連のテロ事件も物心ついたころには収まっていた私にとって、「テロ」というのはイスラム教徒の専売特許のようにおもえた(記憶にある最初のテロは9.11だ)。まさか日本人が、自分の主義主張のためにテロを起こすなんて考えもしなかった。

 それでも私にとってはとても興味がある事件の一つだ。ついこないだまで学生だった自分は、wikipediaでこの事件について何度も調べた。しかしよくわからない単語が並びすぎている。赤軍もよくわからないし、革マル、民生どれもピンと来ない。調べても雰囲気がつかめない。想像するのは土埃とタバコと生乾きのシャツのにおい。勝手に自分の中で、「あの時代」はこういうにおいだったんだ、と信じ切っていた。

 だからこそ、その時代について書かれた小説が好きだ。あの時代の空気を小説家の表現を通して感じ取りたい。そうするとで想像の中でも当時を体感したかった。

 そんな私の趣味を知って、恋人は一冊の本をくれた。『恋』という小説。作者の小池真理子については初耳だった。こんな本をよく彼女はみつけてきたな、と思った。

 『恋』はノンフィクション作家の鳥飼が主人公だ。彼はベテランだが代表作がある作家ではなかった。彼は出世作となる作品のネタを探していた。そのとき見つけたのがあさま山荘事件と同じ時期に起きた、殺人事件だった。軽井沢という地で、加害者の矢野布美子が大久保勝也を猟銃で打った。当時大学生だった矢野布美子と電気店勤務の大久保勝也、片瀬雛子と片瀬信太朗夫妻が現場にいた。新聞記事に乗っている概要はあさま山荘事件に押しつぶされる形で小さくまとまっていたが、なにか面白味のある事件であると感じた鳥飼は、10年の服役を終え、社会復帰しているときいた矢野のもとに出向いた。矢野は最初、拒絶するが死期が迫ったある日、彼女は事件のいきさつと、その当時について語りだす。

 矢野が過ごした唐木との日々、そいて片瀬夫妻との日々は、大学紛争吹き荒れるあの時代の中でまさに「青春」だった。そして唐木との奇妙だが地に足ついた生活から、片瀬夫妻の浮世離れしたいびつな生活への変動はまさに布美子が猟銃の引き金に手をかける瞬間へのスタートだった。

 いびつな愛をもとめた布美子だが、その思いはある意味報われ、違う意味で報わなかった。

 

 あの時代だからこそ、彼女の生活はリアルにかんじられる。それは村上春樹の『ノルウェイの森』と同じように。本当はどうなのかわからないが、もの当たりの時代背景として70年代前半のきな臭さはとても魅力的だ。冷静に読めば少女漫画のような設定でご都合なところもあるが、それでも受け入れて読み進められるのは、ひとえにあの時代だからだろう。

それにしても布美子の悲恋はいかほどか。渇望や苛立ちの感情表現が巧みで、彼女のこころに自分を重ねることは容易だった。ねじれるような苦しさ、伝わっていないと気づいた虚しさ。最後の最後に少し慰めてくれる場面があるので救われるが、物語としては悲しいものになっている。タイトルが『恋』というのも、一層切なさを増進させる。

 感情が揺り動かされ、めくる手のスピードが止まるところを知らなかった。最近ではナンバーワンの作品だ。